多摩中央葬祭株式会社【森山 泰文】~立川に優しく寄り添う仕事人~
立川で創業43年の老舗葬儀社『多摩中央葬祭株式会社』。
大切な家族とのお別れが心和ぐ時間になるように、心温まるお別れをお手伝いします。
お葬式の依頼を受けたスタッフが最後まで一貫して担当するため、お客様の想いをよりきめ細かく汲み取れるため、リピートするご家族が多いのが特徴です。
今回ご紹介する【森山 泰文】さんは9年前から『多摩中央葬祭株式会社』の代表取締役を勤められている方です。
「お葬式は、人が集い、つながり、心を分かり合う場です。その『つながり』を担うにふさわしい人間・葬祭ホールであることが大切」とお話する森山さんの、立川についての想いなどを一問一答形式でご紹介いたします。
大切な家族とのお別れが心和ぐ時間になるように、心温まるお別れをお手伝いします。
お葬式の依頼を受けたスタッフが最後まで一貫して担当するため、お客様の想いをよりきめ細かく汲み取れるため、リピートするご家族が多いのが特徴です。
今回ご紹介する【森山 泰文】さんは9年前から『多摩中央葬祭株式会社』の代表取締役を勤められている方です。
「お葬式は、人が集い、つながり、心を分かり合う場です。その『つながり』を担うにふさわしい人間・葬祭ホールであることが大切」とお話する森山さんの、立川についての想いなどを一問一答形式でご紹介いたします。
【現在について】
・現在お勤めになっている会社名・役職・勤続年数をお教え下さい
多摩中央葬祭株式会社という、葬儀屋さんで代表取締役を9年。
株式会社森の風という訪問看護リハビリステーションの会長を8年しています。
・立川で何年働いていますか?
多摩中央葬祭に入ってからなので、9年働いています。
立川には18年前に戻ってきました。
葬儀屋さんは錦町、訪問看護ステーションは富士見町に拠点があります。
住まいは曙町なので北口、職場は南口です。
錦一二三商店会の会長を7年目です、同様に自治会の錦みよし会の役員もさせていただいています。
東京立川ライオンズクラブでは第二副会長、ライオンズクラブ国際協会330-A地区ではIR国際協調・アジア友好委員会の委員長をしています。
立川市葬祭協会の会長もさせていただいております。
・お店の「ここが強み!」というポイントを教えてください。
多摩中央葬祭㈱は地元地域密着型の葬儀社で、創業43年となります。
大手葬儀社のよくある分業制と違い、お葬式のご依頼を受けるスタッフと、お葬式を担当するスタッフが同じ者です。
私どもは、葬儀は人の手で行うものであって組織的に、分業、システマティックに行うことはできないと考えます。
それ故に、同じ担当者が最初から最後まで対応することにより、お客様と担当者との接触する時間が多くなり、よりきめ細かい、言葉にならないお客様の想いを汲み取ることができます。
わたくしどもは、お客様の、ご要望にお応えしたい…という思いで日々仕事をしており、リピーター様が多い葬儀社でもあります。
・お客様に対して特に心がけていることや気を付けていることを教えてください。
お葬式は、人が集い、つながり、心を分かち合う場でもあります。
寄り添って説明し、お客様の気持ちを引き出して満足して頂けること。
まさにその『つながり』を担うにふさわしい人間であること。式場ホールであることです。
・立川の街の人についての想いを教えてください。
マンションビルが多くなり中心部だけが活気ついています、商店街ではいろいろな企画を仕掛けていますが、なかなか人通りを確保できていない。商店街全体が活気付いていけたらなあと考えています
【過去について】
・幼稚園~大学までどちらに通ってらっしゃいましたか?また、学生時代の思い出などを教えてください。
幼稚園は国立にあるかたばみ幼稚園。小学校は立川二小。その後は日大二中、日大二高、日大理工学部卒です。
中学の頃に高松町から曙町に引っ越しました。高校までは立川から通学していました。
中学の頃は駅ビルではなかったので、朝の通学の際は、北口からは階段を登らず改札から直接中央線に乗車でき、今より便利だったなあと思います。
・現在の店に勤めるまでのお仕事経験を教えてください。
大学卒業後はゼネコンに就職、トンネル工事の建設が長く、群馬県、新潟県の山間部で工事をしていました。
長女が小学校に入った頃に山梨県に異動となった際に家族は立川に連れてきました。
山梨県の現場が終わると福井県に異動となり、月に1回帰ってくる単身赴任生活をしていました。
20年の現場修行の後、本社の技術センターの配属となり私も立川に戻ってきました。
・今の仕事に就くきっかけとなった出来事やエピソードを教えてください。
2013年、先代の父が体調を崩し、当時勤務していた会社を退職し、多摩中央葬祭に入社しました。
正月、父がお風呂で意識を失い、救急搬送され、病院に行くと意識が戻った父が私に『家に帰るぞ!車イスを家まで押していけ』と何度も言いました。
その時私は連れて帰りたいと思いました。しかし連れて帰ることができませんでした。
何故なら体格の良い父を母と自宅で看病する自信が無かったのです。
父は入院生活半年後、病院で亡くなりました。
そののちに、私は訪問看護ステーションという存在を知りました。
知っていれば家に連れて帰れたと思いました。
訪問看護ステーションは必要な事業なのに撤退している事業者が多いことも知りました。
そして訪問看護ステーションを始めることにしました。
葬儀社も同様、必要な仕事です。
困っている人がいるから事業は成り立つと…困っている人の選択肢になるために事業をしています。
【将来について】
・今後やりたいこと・取り組みたいことを教えてください。
こんなサービスがあったのか。というようなことを発掘したいです。
自社が淘汰されないように、柔軟に何事も取り組んでいきたいです。
4年前に府中市に家族葬専用ホールをスタートさせ、今年12月から国立市にも家族葬専用ホールをスタートさせます。これもニーズに沿った取り組みです。
・現在お勤めになっている会社名・役職・勤続年数をお教え下さい
多摩中央葬祭株式会社という、葬儀屋さんで代表取締役を9年。
株式会社森の風という訪問看護リハビリステーションの会長を8年しています。
・立川で何年働いていますか?
多摩中央葬祭に入ってからなので、9年働いています。
立川には18年前に戻ってきました。
葬儀屋さんは錦町、訪問看護ステーションは富士見町に拠点があります。
住まいは曙町なので北口、職場は南口です。
錦一二三商店会の会長を7年目です、同様に自治会の錦みよし会の役員もさせていただいています。
東京立川ライオンズクラブでは第二副会長、ライオンズクラブ国際協会330-A地区ではIR国際協調・アジア友好委員会の委員長をしています。
立川市葬祭協会の会長もさせていただいております。
・お店の「ここが強み!」というポイントを教えてください。
多摩中央葬祭㈱は地元地域密着型の葬儀社で、創業43年となります。
大手葬儀社のよくある分業制と違い、お葬式のご依頼を受けるスタッフと、お葬式を担当するスタッフが同じ者です。
私どもは、葬儀は人の手で行うものであって組織的に、分業、システマティックに行うことはできないと考えます。
それ故に、同じ担当者が最初から最後まで対応することにより、お客様と担当者との接触する時間が多くなり、よりきめ細かい、言葉にならないお客様の想いを汲み取ることができます。
わたくしどもは、お客様の、ご要望にお応えしたい…という思いで日々仕事をしており、リピーター様が多い葬儀社でもあります。
・お客様に対して特に心がけていることや気を付けていることを教えてください。
お葬式は、人が集い、つながり、心を分かち合う場でもあります。
寄り添って説明し、お客様の気持ちを引き出して満足して頂けること。
まさにその『つながり』を担うにふさわしい人間であること。式場ホールであることです。
・立川の街の人についての想いを教えてください。
マンションビルが多くなり中心部だけが活気ついています、商店街ではいろいろな企画を仕掛けていますが、なかなか人通りを確保できていない。商店街全体が活気付いていけたらなあと考えています
【過去について】
・幼稚園~大学までどちらに通ってらっしゃいましたか?また、学生時代の思い出などを教えてください。
幼稚園は国立にあるかたばみ幼稚園。小学校は立川二小。その後は日大二中、日大二高、日大理工学部卒です。
中学の頃に高松町から曙町に引っ越しました。高校までは立川から通学していました。
中学の頃は駅ビルではなかったので、朝の通学の際は、北口からは階段を登らず改札から直接中央線に乗車でき、今より便利だったなあと思います。
・現在の店に勤めるまでのお仕事経験を教えてください。
大学卒業後はゼネコンに就職、トンネル工事の建設が長く、群馬県、新潟県の山間部で工事をしていました。
長女が小学校に入った頃に山梨県に異動となった際に家族は立川に連れてきました。
山梨県の現場が終わると福井県に異動となり、月に1回帰ってくる単身赴任生活をしていました。
20年の現場修行の後、本社の技術センターの配属となり私も立川に戻ってきました。
・今の仕事に就くきっかけとなった出来事やエピソードを教えてください。
2013年、先代の父が体調を崩し、当時勤務していた会社を退職し、多摩中央葬祭に入社しました。
正月、父がお風呂で意識を失い、救急搬送され、病院に行くと意識が戻った父が私に『家に帰るぞ!車イスを家まで押していけ』と何度も言いました。
その時私は連れて帰りたいと思いました。しかし連れて帰ることができませんでした。
何故なら体格の良い父を母と自宅で看病する自信が無かったのです。
父は入院生活半年後、病院で亡くなりました。
そののちに、私は訪問看護ステーションという存在を知りました。
知っていれば家に連れて帰れたと思いました。
訪問看護ステーションは必要な事業なのに撤退している事業者が多いことも知りました。
そして訪問看護ステーションを始めることにしました。
葬儀社も同様、必要な仕事です。
困っている人がいるから事業は成り立つと…困っている人の選択肢になるために事業をしています。
【将来について】
・今後やりたいこと・取り組みたいことを教えてください。
こんなサービスがあったのか。というようなことを発掘したいです。
自社が淘汰されないように、柔軟に何事も取り組んでいきたいです。
4年前に府中市に家族葬専用ホールをスタートさせ、今年12月から国立市にも家族葬専用ホールをスタートさせます。これもニーズに沿った取り組みです。
【森山さんについて】
・立川でお気に入りのお店とお好きなメニューを教えてください。
南口は、ビビ立川本店のオードブル、ベルサリーチェのラザニア、季節料理のむさしのお刺身
北口は、北海道物産の大漁盛とジンギスカン、玉屋のやきとり
・立川のお気に入りスポットを教えてください。
こども未来センターの立川まんがぱーく。
行かれる方は時間に余裕をもっていかないと整理券をもらえません。
・ご趣味や休日の過ごし方を教えてください。
趣味と仕事が同じかもしれません。
時間があれば昭和記念公園の周りを15kmぐらいになるルートでジョギングします。
・最後に、あなたにとって立川とは?
飲食店がたくさんあり回りきれない、自然に触れ合うこともでき非常に快適。
・立川でお気に入りのお店とお好きなメニューを教えてください。
南口は、ビビ立川本店のオードブル、ベルサリーチェのラザニア、季節料理のむさしのお刺身
北口は、北海道物産の大漁盛とジンギスカン、玉屋のやきとり
・立川のお気に入りスポットを教えてください。
こども未来センターの立川まんがぱーく。
行かれる方は時間に余裕をもっていかないと整理券をもらえません。
・ご趣味や休日の過ごし方を教えてください。
趣味と仕事が同じかもしれません。
時間があれば昭和記念公園の周りを15kmぐらいになるルートでジョギングします。
・最後に、あなたにとって立川とは?
飲食店がたくさんあり回りきれない、自然に触れ合うこともでき非常に快適。